住中浩史 1

アーティスト 住中浩史

北斎「お前さんは、どんな活動をしているのかな?」     まちづくりに関わる地域でのアートイベントや、文化施設などでのアートプロジェクト、学校などでワークショップを行うアーティストです。ただアーティストとは言っても、絵や彫刻自分が何かを表現するのでないです。自分の興味は様々な人が、自ら何か新しい出来事を生み出す場をつくりたいと考えています。アーティストやデザイナーといったプロの人が場やイベントを作って、それ以外の人が消費するのではなく、関わる人たちによってどんどん新しい状況が生まれていくことこそ、まちづくり的に意味があると考えています。そのために、他の地域に行って空き店舗、文化施設の中、学校に新しい場をつくることや、仮設の場として屋台をつくることも多いです。                     北斎「墨田区に越して来る前はどのような暮らしをしてたのかい」     元々広島県広島市の出身で、分譲団地の中で育ちました。そこで子ども心に街に対して何か違和感を感じていたことを覚えています。それは東京に出てきて分かっのですが「碁盤の目の街は人工的すぎたんだ」ということです。自然には直線は基本的にないのに街はまっすぐ、そこに違和感があったのかと。また、特に分譲団地は家の門を出ると友人の家まで、ずっと門と塀を眺めて歩きます。これは高速道路で暮らしているようなもので、目的地まで、街ではなく通路と感じてました。広島市は中心地が戦後にできているので碁盤の目だったのですが、東京に出てきて大きな街道でもゆがみまくっているのが何か気持ちよかったです。この街に来るまでは大学で状況して東京の西側にすんでいました。そして、2003年にこの街に来たのですが、カオスではあるもののその在り方が自然な感じがしました。京島2丁目に当時あったRICE+というカフェ機能をもったアートスペースがあって、そこで一年間店長としてカフェバーを運営したのがこの街に関わった始まりです。そこで店舗の二階に住み、この街が好きになりました。その時に一番感じたのが、この街は人の幅でできていると思いました。分譲団地や戦後の街は車を中心に街ができているのですが、この街の路地や長屋は、人のサイズでできていると思いました。この街が車のサイズでできていたことが、子ども心の違和感の正体だと気づきました。                    北斎「ここで暮らしてみて不便に思ったことはあるかい?」     家を自分で改装して暮らしていて、それ自体はすごく楽しいのですがやはり断熱については現代の家より悪いですね。後、自分で天井を外して部屋の空間を高くして、ロフトを作ったのですが、夏は地獄の様に暑くなります。そのロフトにベットを置いているのですが、夏は一階に布団を敷いて寝ています。後、大変なのが定期的にねずみとの闘いがあることですね。ちかくのドラッグストアにもゴキブリよりねずみ対策グッズが多いことがこの街にねずみが多いことをあらわしています。粘着シートを置きまくって捕まえるのですが、自分達が踏んでしまって靴下をダメにしたりすることがありますね。                          北斎「暮らしで一番大事なものは何かな?」     その時そとの時の暮らしに合わせて、変化させていくことです。自分の場合は家を自分で直せるので、これからも変化させていきたいと考えています。

今日の質問のテーマ「引っ越してきたあなたと暮らしについて」

 

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